HISTORY
Begining
2⼈の料理⼈
2014年の春、スケーターで和⾷出⾝のTAKUYA と、バンドマンで洋⾷出⾝のFUSASHI、2⼈の⻘年が藤沢の六会⽇⼤前駅前に「ロケットキッチン」を創業しました。「⼀度⾷べたら忘れない名物料理を作ろう」そんな気持ちから⽣まれたのがロケットチキンでした。
Food Stuff
鶏⾁に絞って研究した理由
TAKUYAは3年ほど⾚坂で板前⾒習いをした後、⻘年海外協⼒隊ボランティアとしてキリバス共和国で活動しました、その他にも⽇本の飲⾷企業の海外出店プロジェクトなどに携わる中で感じたことは「⽇本の⾷⽂化は間違いなく世界⼀、なのに何故世界的に有名な飲食ブランドはないのだろう?」と疑問を持ちました。次第に「⽇本の誇るべき⾷⽂化から世界展開できるブランドを作る」という想いが⼤きくなっていきました。
その⽬標を元に考え続けていく中で、鶏⾁なら全世界で貧富の差に関わらず⼊⼿することができ、栄養バランスも完璧、飼育コストも低く他の家畜と⽐べてとてもエコ、そして宗教の壁も超えられる。そんなとんでもない空想がどんどん膨らんでいき、勢いで起業してしまったのです…(泣)。
Research
研究の⽇々
オープン前から商品のイメージはありました。とにかく「⼀度⾷べたら忘れられない」ことが重要でした。柔らかさを極限にするために⽣花に使う剣⼭を棒にくくりつけて、鶏⾁を⼀枚⼀枚叩いていくなんてこともしました。実際にオープンから1ヶ⽉ほどはこの作業をずっとやっていましたが、閉店後の仕込みが毎⽇明け方まで終わらず却下されました。他にも今考えると笑ってしまうような方法も無数に試しましたが、⾊々試していく中で徐々に方向が見えてくるようになりました。理想のチキンが出来上がるまでに百通り以上もレシピ変更して、やっと「これだ!」と思うものができた時には⼀年半が過ぎていました。
Frustration
挑戦と失敗
⾷べていただいた⽅の反応は本当によく、学⽣さんや近所の⽅々にはどんどん⼝コミになっていきました。「このチキンを1⼈でも多くの⽅に広めたい!」その⼀⼼で3店舗まで広げました。中でも完全に予算オーバーで出店した下北沢店、オープンしてテレビにも出たのに泣かず⾶ばず、⼤きいお店にも関わらず1⽇1⼈で営業できてしまうほど…、資金がどんどん消えていきました。必死の思いで1⼈営業している中でもお客さんがいない時は店の前でビラまきをしていました、ある⽇、若い5⼈くらいの酔っ払った⽅々がチラシを取ってくれました。「ぜひお待ちしております!」と叫ぶと、振り返って「いつまで保ちますかねー」と⼀⾔、チラシをその場に捨てて⾏きました。悔しすぎて。悔しすぎて、それからしばらく毎⽇その光景が夢に出てきて眠れませんでした。「このままでは半年も保ちませんね」と銀⾏の⽅に⾔われ、結局下北沢店は撤退したのでした。
Aspiration
最後の資⾦と夢にまで見た光景
下北沢閉店によって戻ってきた本当に最後の資⾦で中古のトラックを購⼊、業者に作ってもらう資⾦はなく、中古のフライヤーと冷蔵庫を積み込んで、キッチンカーを⾃主制作しました。
もう終わりかな、、、何度もそんなことを思いましたが⼀つだけ希望がありました。それは「ROCKET CHICKEN」でした。「⾷べてもらえれば必ずファンは増えていくはず…」この気持ちだけは⾃信がありました。キッチンカーの機動⼒を⽣かして、とにかく必死でキッチンカー出店を続けました。すると、少しずつ⼝コミになって⾏き、⾏く先々で⾏列ができるようになっていきました。いつの間にか、メディアにも多数取り上げられ、グルメコンテストで金賞を獲得、全国のグルメ催事からもお声がかかるまでになりました! 少しでも多くの⼈にロケットチキンを届けたい! ⽇本の⾷⽂化から世界に⾶び出せるブランドを作りたい!
そんな思いで今⽇も最⾼のロケットチキンを揚げています!